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私のブログ

こどもの事とか虫の事とか

4歳の息子もちょっとずつ大きくなるから言葉も変わるものなんだねディキシ。

【子】こどもの話 【話】こどもとの会話

 

4歳の息子がスパイダーマンにハマっています。

先日、ツタヤで借りてきたんですけど影響を受けやすい息子は今朝も起きしなから顔を低くして蜘蛛の姿勢で迫ってきます。そして伸ばした手首の内側を向けて糸を噴射させます。

「ディキシ!」

そのあとはパンチとキックの連打で馬乗りになってきた息子が顔を近づけながら私にとどめを刺しに来ます。

「ディキシ!」

息子から繰り出される攻撃の数々。すべての効果音は「ディキシ」。もしくは「ジキシ!」なんですけど、それよりもその「ディキシ!」の「ディ」のときに出る唾の飛沫がすごくて顔が唾だらけになるので私はすぐ降参することにしています。

 

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そんな息子の「ディキシ!」も最近になって使われるようになったもので、3歳の頃は「ブシャー!」とか「バシ!」とかばかりだったのを思うと小さな子供ながらに発する効果音の種類も変わっていくものなんですね。と眼鏡と顔の唾を拭きながら思います。

そうやって少しずつ成長している姿は日々の少ない時間の中でもなんとなくは分かるし、保育園からもらう健康手帳なんかを見るとなおさら実感します。けれど最近の息子はそういう風に感じてきた成長とはまた違った姿を見せてくれる時があるんです。

たとえば先週だったと思いますが、寝る直前になっていきなり私に抱きついてきて「とうちゃんとかあちゃんしんじゃうのイヤだよ。」と泣き出したんです。

突然のことに少し驚きそして私も息子を抱きしめながら「どうしたの?」とそのワケを聞いてみるのですが、「イヤだ。イヤだ。」とわんわん泣くばかりで困りました。

いわゆる「死生観」というやつだと思うのですが、とうとう我が家にもやってきたんだなという感じで1時間近く話をしてみました。

 

「みんなしんじゃうの?」

「そうだね。カブトムシも人間もみんなみんなずっとは生きられないんだよね。いつかは死んじゃうんだよ。」

「もうすぐとうちゃんもかあちゃんもしんじゃうの?」

「人間は昆虫と違ってすぐには死なないけど、ずっとずっと先、おじいちゃんおばあちゃんになったらいつかは死んじゃうかもしれないよね。」

「そしたらぼくひとりぼっちになっちゃうの?」

「そんなことはないと思うよ。だって結婚してるかもしれないし子供だっているかもしれないじゃん。」

「イヤだ。けっこんしない。ずっと、かあちゃんととうちゃんといっしょがいい!」

 

そう言ってまた泣き出し顔をうずめ、しばらくたって顔を上げたと思ったらまた泣き出しての繰り返しが何度か続いたあと、何かを閃いたようにしてこんなことを聞いてきたんです。

 

「こころもしんじゃうの?」

 

一瞬言葉につまりました。

 

「しんじゃうの?」

「うーん。どうなんだろうね。体が死んじゃったら心も死んじゃうのかなあ。」

「いったことある?」

「ないよ(笑)だって、まだ生きてるじゃん。まだ生きてるから分からないんだよね。死んだあとどうなるのかって。」

「ふーん。」

「......」

「じゃあ、いってみて。」

「へ...?」

 

なぜだかわかりませんけど最終的にかわいい我が子に一回死んであの世を見てきてくれないか、みたいなことを言われました。

こんなやりとりをしばらくしたあと結局は「しんだらクワガタになるから。」と、教えてもいない輪廻を宣言しはじめたんですけど、一応は笑顔を少しずつ取り戻したみたいなんで「じゃあ、そろそろ寝ようね。」と一緒にお布団へ入ります。

でもやっぱりいざ寝る段になるとまた思い出して「しんじゃったらイヤだよ。」と始まりそうになるのですが、「大丈夫。大丈夫。」と胸をトントンしてやるといつの間にか眠りについていました。

 

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そして今日のお迎えの帰り道。

いつものように手を繋いで歩いているとまた珍しいことを言い出したんです。

 

「あのさー、かえったらさー、ぼくとあそばなくていいからさー、すぐにごはんつくっていいよー。」

 

って。

普段、保育園のお迎えのあと家に帰ったら、まずは遊んでくれとせがまれます。(一人遊びをして待つこともありますが)

 

「ご飯作るから待ってて。」 

「いやだ。あそんで。」

「急いですぐ作るから。待ってて。」

「イヤだ。イヤだ。」

 

これを日々繰り返すのですが、そうこうしてるうちにも時間がなくなるわということに私も気づき、結局急がば回れみたいなことで一度遊んでから夕飯の準備をしていたわけなんです。

それが、いきなりそんなことを言ってくるものですからある意味あの「死生観」より驚きました。

そうやって息子が少しずつ大きくなるにつれて変化していくその言葉たち。それがどんな意味があるのか、そして嘘なのか本当なのかなんてことも実はわからないことも多かったりするんですけど、それでも今まで私が知らなかった言葉が息子の口からぽろぽろと出てきては、昨日とは違う今日を見せてくれます。

時々、息子とけんかみたいになったりすると「バカ」とか言われたりもして腹ただしい姿も見ることにはなるんですけど、それでも時々こうして振り返ったりなんかすると思うんです。成長してるなあって。

明日のディキシ、明後日のディキシ、その次の日のディキシがこれからどんな言葉に変わっていくのかわかりませんが、ただひとつだけいえることは息子につられてディキシディキシ言い過ぎると脳内でぐるぐるなりますので、これはけっこうクセになる効果音だなあということです。さすが歴史ある効果音。

おわり。