読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

私のブログ

こどもの事とか虫の事とか

自由に描いていいよ。って言っちゃう。

【子】こどもの話 【話】こどもとの会話

 

4歳の息子と「お絵描き」をする時「自由に描いていいよ。」「好きに描いてみたら?」と言うと大抵息子は「いやだ。かいてかいて。なんかかいて。」と先に私に何かを描くように言ってきます。

どうしてなんだろう、好きなものを描けばいいのにな。と内心、不思議に思いながらもあまり深く考えるまでにはいたらずいつも息子のリクエスト通り虫の絵や戦隊ヒーローを描いていました。

 

f:id:toithomas:20141127002803j:plain

 

息子と二人でする「お絵描き」ですからそこには他愛もない会話もあったりして、もちろんそれはそれで楽しいのですが、「自由に描いていいよ。」という言葉を私が言う度に息子は「いやだ。なんかかいて。」と返してきたりして、そもそもその意味自体が伝わっていないのかもしれませんが、そんな感じで自ら描くということをあまりしませんでした。あるいは「自由に描いていいよ。」の言葉以外に描き始めのきっかけがうまく見つけられずにいたのかもしれません。私が描いた後にそれに色を塗ったりはするのですが。

また、私が絵を描いたりする仕事なんかをしていますので、息子も私に上手に絵を描いてもらいたいという理由から「なんかかいて。」と言ってくるという部分も多分にあるとは思います。

けれど、一緒にお絵描きをするのですから息子にも何か描いてもらいたいなあなんて思っていたのです。ほんとに時々ですが、自ら進んで描き出すこともありますが。

そんな時、ツイッターに【子供とお絵描きをする時、できれば使うべきではない2つの言葉とその対策】という記事が流れてきたんです。
こういった記事や育児本をあまり読んでこなかった不勉強な私も「お絵描き」というワードにはついつい惹かれてしまうものがあり早速読んでみることにしました。

この記事にはタイトル通り大きく分けて2つの言葉がキーワードとしてあげられています。

・自由に描いていいよ。

・上手だね。

「上手だね。」はいわゆる褒め言葉ですからあまり小さいこどもに多用しすぎると良くないよ、というのは何度か聞いたこともありましたし、また、結果ではなくそこに至った過程や発想なんかを褒めてあげることが大事なんだよというのは想像がついたのですが「自由に描いていいよ。」ができれば使うべきではないんだというのには少し驚きました。まさしくこれだわという感じで。

 

f:id:toithomas:20141127004711j:plain

 

記事によると要するにこどもには常識(大人がいうところの)というものがまだ備わっていないので、私たちが勝手にそれから外れた感覚を自由と捉えて「さあ、好きなように描きなさい。」と、さも寛容な態度でこどもに伝えたとしても、まずその基準となる常識がこどもにはないからそう言われても困るよというようなことがこの記事には書かれています。

読んでいて確かにそうだと思いますし、逆にこどもに「じゆうにえがくってなに?」って聞かれたとしたらこどもが理解できるように説明するのもちょっと難しいなと思いました。

絵を描くことが好きだったこども時代を過ごしたひとりとして、息子にも絵を描くことの楽しさを伝えられたらなあという想いもあったとは思うのですが、どんな想いであれ「自由に描いていいよ。」「好きに描いてみたら?」とリクエストばかりしてくる息子に対して何気なく言っていた一言は、かえってそれが気づかないうちに説明の出来ない無責任な言葉に変わってしまっていたのかもしれません。

そういえば私が息子と同じ年の頃、お気に入りの枕がアニメのキャラクターだったんですが、母とのお絵描きの時間にその枕の絵を折り込みチラシの裏側なんかにそっくりそのままによく描いてもらっていました。それがすごくうれしくて。そういうことを思い出してみると私の「自由に描いていいよ。」という言葉に対して息子なりの自由が私によく言う「なんかかいてよ。」という返しであって、それこそが息子の「自由」な発想だったのかもしれないし、息子にとっては描いて欲しいものを描いてもらうことこそが私とする「お絵描き」の楽しみだったのかもしれません。

 

f:id:toithomas:20141127012649j:plain

 

一言でこどもと言っても千差万別、いろんな感覚や感情があって当然です。けれどそれを理解しようとしていたがゆえに、こどもはきっと「自由に描きたいだろう。」と逆に偏った見方をしてしまい「自由にかいていいよ。」という言葉をついつい発してしまったのかもしれません。

そして、この記事には「自由にかいていいよ。」という言葉の代わりに対策としては、こどもに呼び水を与えてあげることだと書かれています。つまり今から何を描くかを親が決めてあげて「丸を描こう。」とか「四角を描こう。」と描き始めのきっかけを何かしら与えてあげることがひとつの方法として良いのでは、ということ。

こういった記事や育児本通りにこどもとの会話や遊びがうまくいくかどうかは別としても、私にとってはこの「自由にかいていいよ。」という言葉に対する息子の反応がとても不思議に思っていたところだったので、すごくホットな話題として興味深いものになりました。

 

 

**

 

 

つい先日、息子の通う保育園で保護者面談がありました。
少し早く到着した私は息子のクラスの絵が張り出されている教室でみんなの作品を鑑賞しながら時間をつぶしていたんです。それらは「遠足の思い出」というテーマで描かれたものでした。

そういえば遠足に行ったなあ。さつまいも持って帰って来てたなあ。じゃあ、さつまいもの絵を描いたのかな?もしくはお弁当の絵かな?と想像を膨らませながら息子の作品を探していると、壁に張り出された20枚ほどの園児たちの絵の一番下の右端に息子の絵がありました。

タイトルは「ゴーバスターズ」だそうです。

ゴーバスターズというのはレッドバスター、ブルーバスター、イエローバスターからなる3人組の数年前の戦隊ヒーローなのですが、なぜか最近息子はハマっています。

右のレッドバスターは息子本人、真ん中のブルーバスターは仲良しのお友達、左のイエローバスターはかあちゃん。だそうです。(絵の横に先生が小さくそう記してくれていました。)大きい丸に線でぴょんぴょんと手と足が描かれ胴体らしきものは無く、それぞれに赤、青、黄が塗られていました。そして背景は無く余白を目一杯使ったシンプルな絵。

遠足にまつわるものや、食べ物などそれらしいものを描いている園児たちが多い中で、決められたテーマに沿っていない分、手放しで褒めることは出来ないのかもしれませんが、私はそれを見てなぜか納得してしまうものがありました。

「自由にかいていいよ。」という言葉は出来る限り使わない方が良いというよりも、言う必要のない言葉だったんだな、と。

息子はじゅうぶん、自由に描いている。この絵を見て私はそう思いました。

家では描いてもらいたいものを私に描いてもらい、保育園では持っている自分の力だけで自由にこれからも描いてくれるのだろうと思います。また、まわりのお友達や先生からの刺激も描く原動力になるのかもしれません。

小さなこどもとの対話、そして態度など、親として考えなければならないことや改めないといけないことも多くそれらをひとつひとつ実践していくのはなかなか難しいものがありますが、この「自由にかいていいよ。」という息子との会話から親として未熟な私にもこれからに繋がるヒントを少なからず与えてもらえたような気がします。

さいごに保護者面談ですが、給食は進まない。お着替えをよく忘れる。など息子の苦手なことだったりポカンとした能天気な性格を先生から若干指摘されたりしましたが、それはまた今後の課題にするとして今は息子の成長に感謝することにいたします。

おわり。