私のブログ

こどもの事とか虫の事とか

3歳の息子に大きな声でどうもありがとうて言いたくなった私の愛をはてなの中心で叫ぶことにシタ!

 

いつかは私の元から去っていくであろう今はまだ小さな3歳の息子とのかけがえのない大切なひとときの中から【私と息子が過ごす1日】のお話。

すごくもないし特別でもない。小さくたって光ってる。
こんな私を愛情で一杯にしてくれた息子へ、ありがとう。

朝起きて......

 

私の息子が2668gの少しだけ小さな体で産声をあげてから早いもので3年が経ちました。小さく産まれ大きく育ってくれた今は100センチを超え体重も16キロ。

そんな3歳の息子の一日は早朝6時にはじまります。
私のとってもかわいい息子はムックリと布団から起きあがると満面の笑みを浮かべ私の元へとやってきます。さあ抱きしめてやろうと両手を広げ胸を開いて待っているとその手をスルリと抜けて私の顔面へとやってきます。まさかと思ったが時すでに遅し。私の両目をその小さな手で何度も突き刺しにかかるのです。「ブヘヘへ」。笑っています。それからその小さな手は私の両鼻へ向かうと指を押し込みグイと持ち上げまた笑うのです。やめてください。私は何度もそう言うのですがその手はさらに下方へと進み私の脚元で止まるとその小さな手で私の足の親指を持ち上げ逆方向へひねり倒しへし折ろうとするのです。そしてまた笑います。

ひと通りの準備体操が終わると息子は股間を押さえながら「出ちゃう出ちゃう」とピョンピョン飛び跳ねながらおしっこをしにトイレへと向かうのです。

 

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おいしいねぇ

 

私は3歳の息子がトイレに行っている間にサッと台所へ向かい朝食の支度をします。
朝食は和食だったりパン食だったりしますが息子はパン食の方がどうも好きな様です。
「今日は和食だ」という事でみそ汁や米飯を出しますと機嫌の良い時は特に何も無くすんなりと食事を始めるのですがそうでない時は当然「いーやーだ。」となります。
しかし私たち夫婦にとってこのような事は日常茶飯事でありますから毅然とした態度で「食べたくないなら食べなくて良し。」と言い放ち私は手を合わせ食事を始めます。しばらくしてもまだ横で泣きながらグズっている息子が私の元へとだっこをしにやってくるのでそこは突き放さず両手でギュウと強く抱きしめ「ちゃんと食べようね。」と諭します。それでも泣き止まぬ時は少し気分転換でもさせるかという事でNHKのEテレなんかをつけてやりますとたまたま息子の大好きな【虫のヤツ(息子曰く)】がやっていたりすることがあるのです。そうして10分ほどテレビを見て再び食卓へと戻って来た息子は何事も無かったかの様にして箸を持ち(時にスプーン)茶碗を持ち、汁碗を持ちズルズルパクパク食べ始めています。そんな様子を横で見る私は「お、おいしい?」とご機嫌伺いをしてみますと息子は「おいしいねぇ。」とありがたいお返事をしてくれるのでした。

 

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行くよー!!

 

食事を済ませると保育園に行くまでの少しの間私と息子はおはなしの絵本を読んだり虫の図鑑を読んだり息子の大好きなトイストーリーのおもちゃなどで一緒に遊んだりします。そうして時も経ちそろそろ保育園へ行くよ。となるのですがやはり3歳の小さなこどもです。遊びのキリが悪い時などは「まーだー!まーだ遊びたいー!」となります。私も仕事がありますので遊んであげたい気持ちを抑え「でも、もうそろそろ行かないとお仕事出来ないんだけどなー。」と言いますが息子にとってはそんな事は関係のない話であり目の前にある【おもちゃで遊ぶ】事の方が当然、最重要事項でありますから私の言葉の効き目は薄くどうしようかなとなるのです。そんな時、私はいつもノジノジノージー(正式にはノージー) の気持ちになる事にしており「なにか良いコトひらめきたいなー」とアイデアをしぼるのですがうまくいかない事の方が多く「何の役にも立ちゃあしねぇ。」となり、そうして何も良いアイデアを思い浮かべられぬ私の頭はパンク寸前となり「仕方ない。無理矢理でも連れて行くか。」と最終手段を行使する事もしばしばあったのですが最近の息子の反応がどうもいつもとは変わってきたのです。
いつもの様に「もうそろそろ保育園行かないとお仕事間に合わないんだけどな。」と言うと今の今までおもちゃで遊んでいた息子がスクッと立ち上がりこう言うのです。「よし、行くか。」
どこかの現場へでも向かう様な口ぶりに私たち夫婦は驚き「お....お、おう。よし、行こうか...行こう。行こう。」となぜかしどろもどろになってしまうのでした。

 

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残してもイイヨ!

 

保育園へお迎えに行くとなぜかいつも全身泥まみれで薄汚れている息子の元へ「お待たせ」の気持ちで私は腰を下ろし手を広げ、だっこのポーズで待ち構えるのですが当の息子は私の姿を見つけるやいなや私をめがけパンチのポーズで走り込み私の顔へ向かって「ライダーパンチ!!」と言いながら殴り掛かってきます。
帰り支度を済ませ保育園の門を開きなんとか手をつないでブラブラ家路に辿り着いた私と息子はおしっこと手洗いを済ませ、まずはトイストーリーのおもちゃで遊んだり絵本を読んだりして過ごします。それからしばらくすると私は夕食の準備にとりかかります。その間は「私はお夕食を作りますから少し待っていてくれますか?」と言いますが3歳の息子は「いやだ。1回遊んでから!」とそれを拒みます。1回どころか何度も何度も私はあなたの考えたトイストーリーのおもちゃで行われるバイオレンスストーリー(前回の記事より)に付き合わされているのです。この様にしてなかなかうまくいかない時などは私は「こっちへおいで。」と言いながら息子に背を向け座り込みます。すると息子は私の背中へ乗り込んでくるのです。つまり【おんぶ】です。
私は16キロの背後にとり憑いた息子を背負いながらフライパンで野菜と肉を炒め、味噌を溶くのです。
夕食の準備が整いますと「いただきます!」となるはずなのですが本日のメニューは息子の苦手なピーマンです。しかし私の家庭では「食べたくないなら食べなくて良し。」と決めておりますのでその様に言いますから息子も当然グズり始めます。
しかし朝食とは違い夕食は多い時で5品から6品ほど(作り置きの総菜も含め)あり、白米も保育園の給食のものより多めに茶碗に入れてやりますから3歳の息子に完食は少し厳しいかなという部分もありますので私も「食べられなかったら仕方ないから食べられるだけでも良いよ。」という事もあります。
しかし息子は【そうは問屋が卸さない】事を日々の中で会得しており私がそう言っても「やったー!じゃーのこす!」ではなく「いやだ。」と言って残す事を拒むのですが、かといって食べる事も出来ないもどかしさからまたグズりはじめます。
それはきっとこういう事なのだと思います。息子曰く食べたくないのだけれど食べないとその後私に遊んでもらえなくなるしおやつも出なくなるしトイストーリーのDVDも見せてもらえなくなるし21時になったら目がひとつしかない鬼がベランダからやってくるし母ちゃん白目になって何も話さなくなるしと私たち夫婦が息子へ行ってきた愚行の数々が脳裏をよぎるからなのだと思います。
ですから息子は最終的にはピーマンごときの一時の苦さよりも私の恐怖を味わう事の方が辛いとみたのかいつも必ず完食してくれるのでした。ペロリ

 

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息子よ

 

 

① 自分の足で一歩ずつ歩いてください。

 

② たくさんグズってください。

 

 

これは私が息子と接する時にいつも心にしまっている私にとっては大切な2ヶ条。
私はあまり育児本などを読まない不勉強な人間です。けれどそれよりいろいろな事を私と3歳の息子とのやりとりの中で考え楽しめたらなという方が強いのです。(ノジノジノージーもいるので)

① 自分の足で一歩ずつ歩いてください。

私は息子と出かける時(車や電車やバスなどの長距離でしか行けない場所は別ですが)自転車を使いません。つまりすべて一緒に歩きます。図書館も買い物もツタヤも保育園も公園も虫とりも。
私は散歩が好きなので元々歩くのは好きな方なのですがそういう考えから来るものではなく息子にはとにかく歩いてほしいのです。大人になった私には3歳の息子が見ている世界をもう見る事が出来ません。道に咲く花もきれいな石も道路で干涸びて死んでいるミミズも真っ赤な落ち葉も。大人になった私はそれに気付く事もなく歩き去ってしまうのです。そんな小さな小さな事なのだけれども私は大切にしてほしいと思っています。そしてそんな小さな事にこそ何かを感じて欲しい。そんな日常に落ちている些細な何かが実はとても大切なものの様な気が私にはします。そんな想いからいつも息子には自分の足で歩かせます。
先日の保育園の帰り道、息子と手をつないで帰っていると突然息子が歩道の端にあるコンクリートにぽっかりと空いた直径2cmほどの小さな穴を見つけました。「これなぁに?」と言うので私と息子はその小さな穴に行き、そうっと覗き込みます。するとその小さな穴の中は横に広く空洞が出来ておりその中でたくさんのダンゴムシが生息していたのです。私はすかさず「すごいねぇ。よく見つけたねぇ。」と息子の頭をクシャリと撫でました。私は何年も毎日の様にその道を通ります。しかし私はその小さな穴を3歳の息子が見つける今の今まで気付く事はありませんでした。それはそのはずで私たち大人にとって道路の端にある小さな穴は視界に入る事もなければ重要な何かでもありません。しかし私は息子がこの小さな穴を見つけてくれたお陰でいろいろな事を考えるきっかけを与えてもらえたと思いました。息子には私と共に歩き続けられる限られた時間の中でその時その年齢の目線でしっかりと見つめていってもらいたい。小さいけれど光ってる「あなたにしか見る事が出来ない世界」をたくさん見て感じてもらいたいです。

 

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② たくさんグズってください。

私は息子にたくさんグズってもらいたいのです。グズってグズって甘えて甘えてたくさん泣いてたくさんだっこしてもらいたいのです。それは息子を甘やかすつもりで言っているわけではなくて、むしろ出来る限りは突き放し自分の頭で考えてもらいたいという想いからなのです。けれどこんな3歳の小さな頭と体で【考える】事をするためには大きな安心感(愛と言っても良いのかな?)が必要なのだと思います。ですから悪い事をして怒られ泣き叫んだ後だっこを要求してきたらまずは強く抱きしめます。そして抱きしめながらゆっくりと諭しますが「どうして怒られたか分かる?」と聞いても「わかんない。」という風にやはり3歳ですから何で怒られたのか、どうしたら良いのかさえ分からなくなる事もよくあるのです。けれど理屈を理解する事は出来なくても私がギュウと抱きしめてあげる事で必ず息子は泣き止むのです。何かが起きた時にまずは先に親である私が息子へ大きな大きな愛を送ります。ギュウと抱きしめて【愛しているよのだっこ】を送るのです。それから一緒に考えれば良い。うまくいかなくたって良い。またやっちゃったって良い。すこしずつでも出来る様になっていけば良い。そうやって立派に3歳になったじゃないか。おしっこもお箸も上手になった。カメムシだってミミズだって触れる様になったじゃないか。だからそれで良い。そしてうまくいかないその時に私が必要であればまたこの大きな愛で抱きしめますから。だから今日もいっぱいグズっても良いですよ。

ありがとう

 

息子からもらうたくさんの愛によって私の日々があります。私は3歳の息子の親であると共にひとりの人間です。悲しい事や苦しい事に押しつぶされそうな時、息子の笑顔が私を救います。「がんばろう。」私はそう思い前を向く事が出来ています。
ありがとう。息子よ。大きくなるんだよ。今日の夕飯もピーマンだからね!